Sweet glow

 

 

 

 

あれはもう2年程前のことになるだろうか。

父の身内が死んだとかで一時期アメリカから帰国した事があった。

しかしその対応に追われるのはもっぱら両親の方で、子供である自分は暇を持て余す羽目になった。

その運動場に行ったのはほんの偶然。

帰国したばかりの自分はロクに地理も知らなかったし、テニスが出来さえすればよかったので適当に当たりをつけた場所だった。

都内の運動場でもそこは割とまともなコートやスカッシュ場を持つところのようで、天気のよい事もあってそこそこに賑わいを見せていた。

ひとまずはスカッシュでもしようかと移動する道すがら、ふとコートで打ち合っている一組を見つけ、目を止める。

その一組は他より群を抜いて上手かった。

きわめてスピードの早いショット。お互いが良く球を拾い、一歩も譲らずにラリーの応酬が続いている。

と、それにじれたのか片方がスマッシュを打ち込んだ。

スピードも充分でコースも悪くない。決まったな,と思った瞬間、スマッシュを打ち込まれたその相手は、まるで羽根でもあるかのように軽やかに飛び上がり、ラケットを振り切った。

次の瞬間、確かに決まったと思われたスマッシュが、鋭い打球音と共に鮮やかなストロークになって相手のコートに叩き込まれたのに思わず目を見張った。

・・・美しいフォームだった。

見ている者に残像しか残さないほどに速いショット。おそらくカウンター技を使ったのだろうが、カウンター技独特のごり押し感が全くない流麗さだ。

改めてそのプレイヤーを見直し、目を見張った。

“女の子・・・かな?”

まず初めにそう思った。

少し色素の薄い感じの肩先まで伸びた髪。整った横顔。それほど大きくない背。華奢と言ってもいいくらいの身体の作り。少年と思うには少しためらいがあるほど優しい雰囲気。

年頃は自分とそれほど変わらぬくらいだろうか?

対峙している相手はこれは少年で、スポーツ刈りの幾分背の高いしっかりした体つきをしている。こちらも年頃は自分とそう変わらないようにみえる。

力強さではこちらの方が勝っているだろう。

しかし、それに押される事は一切なく、流れるようにその人は試合を取っていく。

低い位置でのドロップショット、深いボレー。インコースぎりぎりのサーブ、レシーブ。

けっしてまぐれなどではない計算されたショット。

力をテクニックで上手くかわす、自分とは違うタイプのプレイヤーのその試合運びはとても美しく、

時間の経つのを忘れてしまうほどだった。

 

気付くと試合は終っていた。

ほぼ一方通行の試合の後、悔しそうに天を仰ぐ少年に、その人は話し掛けているようだった。

その仕草は優しく、少年と何処となく顔立ちが似ているところからして姉弟なのかもしれない、と考えるともなしに考える。

一足先にベンチへと歩き出す少年を見つめていたその人が、不意にこちらを振り返った。

その視線は自分に向いており、その人はゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

試合運びを見られることを嫌がるプレイヤーは少なくない。

ましてあれだけの試合をする人間だ、注目する人間もいないではないだろう。現に自分もちらほらとそんな輩に取り囲まれ始めている。

見ていた事について何か言いに来るのかもしれないと思いつつ、自分はその場から動かなかった。

動かず,じっとこちらに歩いてくるその人を見つめていた。

「キミ・・・テニス、するんだよね?」

フェンス越し数メートルで足を止め、その人は話し掛けてきた。

柔らかで優しい声だった。

涼しい切れ長の感じの目がじっと自分を見ている。しかしそれはあくまで優しく、咎めているような雰囲気はない。

“キレイだな・・・”

人の顔立ちなどそれまで意識した事はなかったが、その人を見て不意にそう思った。

ちょうど今見たテニスのようだ、ふっとそんな事を思って。

・・・その人といくつか言葉を交わしたのかもしれない。しかしその記憶はおぼろげだ。

その人が自分に言ったひとつの言葉を覗いては。

「また、会えるかな?」

自分はその言葉にどんな返事を返したかは思い出せない。

けれど、自分もそう思っていた事を相手に言われた事がとても嬉しくて、また会いに来よう、そう心に決めた事を思い出す。

しかし、その運動場に来る事はできなかった。

帰国した時と同様、急遽アメリカに戻ることが決まり、飛び立つように慌しく日本を発たねばならなかったからだ。

・・・何も知らないままだった。その人の年も名前でさえも。

テニスが特別な意味合いを持ったのは多分その頃からだったのだろう。

その面白さがわかりかけ、強くなりたい願望が急激に強くなり、それに密かな願いが加わる。

“あの人にもう一度会いたい・・・”

 

青春学園テニス部に入って数日、リョーマが感じていたのは“退屈”の二文字だった。

“先輩達”に出されるちょっかいも自分にとっては実に他愛ない物で、まるで出来の悪い“ゲーム”のようなものだった。

帰国に関しては強く父親が望んだ事だった。何か思惑があってのことらしい。

でも特に反発はしなかった。自分の母国とはいえ、住んだのはほんの小さな頃で全く日本と言う国は知らなかったし、未知なるものは楽しみでもあったのだが。

“ま、こんなもんじゃないとは思うけど・・・”

基礎トレーニングをこなしながら、リョーマは小さくため息をつく。

と、軽いざわめきと共に白地に鮮やかな青のラインの入ったジャージを着た一団がコート内に入ってきた。

“あれがスゴイ先輩達ってわけ。”

その一団を見るともなしに見、リョーマは密かに値踏みする。

このテニス部は全国レベルの水準で、そのレギュラーはケタ違いの能力を持つものばかりだと同級生の堀尾から聞かされていた。全国レベルがというものがどんなものか帰国したばかりの自分にはわからないが、強い、ということに興味はあった

先輩達はおのおの散って練習を始めた。

ロブからのスマッシュ練習。ポイントに球籠を置いての練習だ。

“ふうん”

大人しく素振りなどをしながら、見るともなしに見ていたリョーマだったが、ふとあるコートの一面で目を止めた。

・・・その人の動きは美しかった。

ただのスマッシュの練習だというのにまるで滑るがごとく流れるがごとく動き、少しの無駄もない。

と、狙ったのか偶然なのか、やや高めのロブが上がった。

それはその人の背を越し、背後へと向かって落ちていく。

“無理かな?”

思った瞬間、その人は滑るように動いて後ろへ飛んだ。

緩やかなロブがラケットに掴まった瞬間、鋭い切れをもったスマッシュへと変わり、籠に叩きつけられる。

“へぇ・・・”

何気ないようでこのコースは難しい。自分の真後ろに飛ぶボールには動けなくなる事が多いからだ。

それを苦もなくこなした先輩を改めて見ようとした視界の端に何処からか上がりすぎたロブボールが引っかかった。

・・・ちょっとしたイタズラ心だった。少し退屈していたせいだったかも知れない。

リョーマはラケットを振り上げ、そのボールを叩いた。

狙い違わずそれは今まさにスマッシュを打とうとしていたその先輩の脇を掠め、籠の中にと叩き込まれる。

「何だ、案外カンタンだね。」

その言葉が聞こえたのか、その人がこちらを振り返った。

・・・それは思いがけず優しい顔立ちをした人だった。

背はあまり高くなく、どちらかと言えば華奢な体つき。色素の薄い髪が柔和な感じを一層強めている。

その顔を正面切って見つめたリョーマの顔に驚きが走った。

“まさ・・・か”

自分の目を疑う思いだった。記憶の底に沈んでいた時間が、瞬時にして鮮やかに蘇る。

 

そしてそのまま時が止まったように思えた・・・